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Channel: 【駿河台大学】現代文化学部からのお知らせ
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ネパールのホテルから学んだホスピタリティ

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現代文化学部 小林奈穂美准教授

 2月に、カトマンズ市内に出来たホテルのオープニングパーティに参加する機会がありました。ホテルの名前は、「風ダルバール・カマルポカリ」ダルバールは館(やかた)、カマルポカリは地名です。カトマンズ一の繁華街であるタメルから少し離れた静かな場所にあり、ホテル入口には、愛想のいい守衛さんがいて、バスから降りると支配人を始め、スタッフみんなが並んで歓迎してくれました。(まるで和倉温泉加賀屋のようです)ひとりひとりに歓迎の意を込めて「ナマステ」と挨拶を交わしながらカタ(ストールのようなかたちの布)をかけてくれます。ここで一気にネパール気分が盛り上がります。深夜到着のため、鍵をもらって早速部屋に入りました。日本人とヨーロッパ人を意識したという部屋には、日本語のリーフレットと、ミネラルウォーター、クッキーが備えてありました。計画停電でも最低の電灯が点くようになっており、茶で統一された家具と生成りのカーテンはとても落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

20140417_gbg_01.jpg(左)毎朝、毎晩、守衛さんと「ナマステ」と挨拶 (右)冷蔵庫、テレビ、エアコンはありません

 翌朝、朝食はビュッフェスタイルで、お米も美味しく、全体的に優しい味でした。
 朝食後、ホテルの繁盛を祈念しプジャという儀式が行われ、1時間ほど見学しました。
お坊さんは経本を読みながら、テキパキとお添きの人に指示していました。果物や草木などのお供えものは方角や供える順番があるようです。

20140417_gbg_02.jpg(左)朝食は和洋折衷 有機野菜中心です(右)お坊さんが、唱えながら花や草木を供えていきます

 改めて建物全体や中庭を見ると、70年前に建てられたラナ家(1846年から1951年までネパールを支配した宰相家。事実上の王家)の建物をそのまま再利用し、改修が必要な部分は使われなくなった別の館から集めてきたり、家具や備品は天然素材をできるだけ使ったりと、時間と手間暇をかけて丁寧に作られてきた様子がうかがわれます。

20140417_gbg_03.jpg(左)中庭には円形のチョウタラという腰掛けがあります (右)白と茶とレンガ色を基調としたホテルの外観    


 市内観光のあと、ホテルのオープニングセレモニーが取り行われました。
最初に、大型スクリーンを使い、オープンまでの建築風景やその間の苦労や拘りについて伺い、支配人の挨拶、関係者の祝辞や記念品の贈呈のあと、音楽に合わせた民族舞踊が披露されました。オープンに関わったスタッフ全員とその家族が招かれていて、大変和やかで暖かいパーティーでした。
 
20140417_gbg_04.jpg(左)プリスビー支配人の挨拶 (中)歓談のひととき (右)音楽と民族舞踊を鑑賞


 シャワーのみでバスタブのない部屋でしたが、オイルヒーターがあり寒さを感じることはないのですが、可愛いカバーに入った湯たんぽのサービスがありました。これは日本のお客様には喜ばれること間違いなしでしょう。
 
20140417_gbg_05.jpg(左)毎晩配られる湯たんぽは入れ物も手作り (右)夕食は一見、和食のようですが、オーガニック料理です 


 部屋に提供されていたクッキーがとても美味しかったため、販売はしていないとのことでしたが、無理を言って特別にお土産用に焼いていただきました。急なお願いにも嫌な顔ひとつせず、チェックアウトまでに、密閉容器に入れてくれました。
 支配人を始め現地ガイドの方々は皆、日本語が大変上手で感心しました。特にトレッキングのガイドさんは、鳥や草木の名前を日本語でガイディングしてくれて、大変驚くとともに、参加者には大人気でした。
 環境や天然素材に拘り、ヘリテイジホテルを上手に演出し、日本の文化や食を理解した上でそれに相応したスタッフを教育し、実現している支配人の高い志に触れることができ、期待以上のホスピタリティを随所に感じました。学生たちにも授業やゼミを通じて紹介していきたいと思います。

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ミネラルウォーターの下に見えるのがクッキー

2014 現代文化学部オリエンテーションキャンプ【実施報告】

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 もはや現代文化学部の「春の風物詩」と称しても過言ではない<草津オリキャン>が今年度も多くの思い出と実りを参加者である新入生・編入生・留学生たちにもたらしてくれました。限定的な時間ではありますが、連れだって動き回り、語り合い、そして寝食を共にすることの大切さを今回も確認させられました。
 以下は、参加学生たちによる(完全無修正版)レポートです。お楽しみください。

(学部学生委員 大貫 秀明)

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さぁ、出発で~す!

オリキャンアドバイザーのリーダーを務めて

アドバイザーリーダー(4年) 岡安 紗妃

 私は今回のオリキャンのアドバイザーでリーダーをやらせていただきました。正直楽しみという気持ちより不安の気持ちばかりでしたが、凄く楽しく充実したオリキャンを過ごせました。それは一生懸命頑張ってくれたアドバイザーや、周りでサポートをしてくださった教職員さんのおかげです。1年生の楽しそうな姿や笑顔にも助けられました。リーダーの経験をして沢山の事を学び、大変な事は本当に沢山あり悩みも沢山ありました。でもその分嬉しい事、感動した事、楽しい事は何倍も多くあります。
 私が一番嬉しかった事は周りからの言葉です。1年生は「さきさんの頑張っている姿を見て、凄くかっこよく僕もアドバイザーをやりたいと思いました」「さきさんがアドバイザーで本当に良かったです」「オリキャン凄く楽しい」など本当に嬉しく思いました。アドバイザーのみんなも「さきがリーダーでよかった、お疲れ様」と言ってくれて本当に嬉しく頑張ってきて良かったと心から思えました。
 最後のアドバイザーは感動の涙や、ホッとした気持ちの涙が沢山でした。沢山悩んで考えて一生懸命やってきた証拠だと思います。この経験は自信に繋がり貴重な経験です。オリキャンに関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。これからもアドバイザーとして沢山の人をサポートし支えていきたいです。ありがとうございました。

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アドバイザーによる出発前の団結式の模様

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「歓迎余興」終演後のアドバイザーのみなさん


オリエンテーションキャンプの経験


ミュンヘン大学交換留学生  エティエン・マイヤー
コリーナ・ミューレナー

 私達はドイツのミュンヘン大学からの留学生です。オリエンテーションキャンプは群馬県の草津温泉に行いました。あそこのある山の景色はとても美しいと思って、ドイツのアルプスを思い出させました。
 草津市に到着した後に町の中に散歩して露天風呂を見に行きました。この道に古い店や湯畑と言う温泉の源泉や狸や小さい稲荷神社など色々な日本らしい物が見られました。この古い店の中に一つのお菓子屋が私達があの店を通った時に全員に作った饅頭をくれたのは有難いです。ホテルは凄く綺麗だと思います。室に和室があって布団に寝ることは硬かったが、いい経験だと思います。最後に色々な人々に感謝したいと思います。先ず、アドバイザー達の楽しいゲームによって皆が友達になり易い事だった。
 次に、先生達の「よろず相談」と言うのは大学の生活について色々な便利な情報を教えるとてもいい事だとおもいます。私達の留学生がよく日本語の全部を分からなかったが、先生達もアドバイザー達も他の生徒達もいつも優しくてゆっくり説明している事に本当に有難うございました。オリエンテーションキャンプはとても面白くて楽しかった経験だった。経験をありがとうございました。

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ミュンヘン大学からの交換留学生

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中央にコリーナさん、そしてその真後ろがエティエン君(浅間 鬼押し出しにて)


オリエンテーションキャンプを終えて


CAクラス 増田 健一

 オリエンテーションキャンプを終えて、色々な事を学びました。最初は友達も少なく何も得られないまま終わると思いました。ですが思ったよりもみんなとコミュニケーションが取れたので良かったと思います。友達ができたことによって友達の良いところや趣味などが分かり、よりみんなとの輪が深まったと思います!
 自分はオリキャンで担当だったアドバイザーの人に多くのことを学び、助けられました。それでさきさん(岡安紗妃さん)や、姉さん(渡辺菜々さん)みたいなアドバイザーになりたいと思い、来年度にはアドバイザーの立場として一年生を先輩方と一緒に引っ張っていきたいと思います。
 そしてCAクラスのみんなと、これからも頑張っていきたいです。ありがとうございました。

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CAクラスのみなさん(草津温泉 湯畑にて)


最高だったオリエンテーションキャンプ


CDクラス 内山 拓

 このオリエンテーションキャンプを通して、最初は大学生らしくないと感じ、正直面倒くさいと思っていた。しかし、バスの隣の友から始まり、段々と話が合う友、考えが合う友などが出来てきて、初日で早くも非常に和やかな状態になっていた。また、アドバイザーが企ててくれたクラス別レクリエーションでは、様々な県から集まってきた友達の意外な一面や新たな一面が分かったりして、非常に初々しさを感じたり参考にもなった。 外部面では、草津という日本一の名湯に来れて嬉しかった。湯加減も丁度よく、酸味のあるお湯の力で今後の学生生活で必要となる様々な英気を養うことができた気がする。私事だが、またいつか来たいと思った。二日間を通して、面倒くさいと思ったことを後悔してるくらい楽しめた。新たな仲間やアドバイザーの先輩、教授方など様々な出会いと感動が生まれ、楽しかった。これからの大学生活がますます楽しみである。

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内山君(鬼押し出し展望台にて)


オリエンテーションキャンプin草津


CBクラス 須藤 結衣

 1泊2日のオリエンテーションキャンプで現代文化学部は群馬の草津に行きました。入学してまだ少ししかたっていなく、クラスの中でしゃべったことのない人もいる私にとってこのオリエンテーションキャンプはすごく不安でしたがアドバイザーの先輩方たちがいろいろな企画を考えていてくれてどれもとても楽しむことができ、自然とクラスの人たちと話すことができるようになっていました。
 クラス別のレクレーションや全体でやったクラス対抗のゲームなどはどれもとてもいい思い出です。 よろず相談では先生方に1対1でわからないことを聞けて、自分の時間割を組むのにとても参考になりました。
 このオリエンテーションキャンプを通して、たくさんの人と友達になることができ、これからの大学生生活がとても楽しみになりました。

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現代文化学部オリキャン名物「よろず相談会」の様子


2014 オリエンテーションキャンプ


アドバイザー(3年) 中村貴久

 私は今回のオリエンテーションキャンプでたくさんの驚きに出会いました。まずは、新入生のフレンドリーさです。最初は緊張のせいもあり、バスの中では静かな時間が過ぎていたものの、ちょっとしたきっかけで話が盛り上がったり、レクリエーションや企画で純粋に楽しんだりしているとすぐに友達が出来ましたという声を聞いて大変驚き、うれしかったです。オリエンテーションキャンプの目的を少しでも果せることに喜びを感じました。
 次に驚いたのは、自分の出来ることが増えていくという実感を得られたことです。昨年もアドバイザーとして参加しましたが、先輩に頼るばかりで何もできなかった自分が、1学年上がり責任感も増した中で指示を出したり、新入生とたくさん話すことが出来たりと今までの自分では苦手なことが少しずつではありますが、出来るようになったのはオリエンテーションキャンプのアドバイザーをやった成果であるのだと思いました。新入生の不安を和らげたり、早く馴染めたりするようにといった過程の中で自らを成長させてくれるのがオリエンテーションキャンプの素晴らしいところであると思いました。

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駿大ブルーのアドバイザーユニフォームの男性が中村君(鬼押し出しにて)

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異界的な景観に興味津々  (草津温泉 西(賽)の河原)

フィールドトリップⅡ②  実施報告1

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現代文化学部 小林奈穂美准教授

 この科目は2年次生が現代文化学部で学ぶにあたって基礎となる重要な科目「コース共通科目群」の2つのカテゴリーのひとつである"フィールドスタディ"に位置付けられ、学びの場を広く学外に求めた体験重視型の科目のひとつです。全部で10科目が設定されており、その中から1つを選択することになっている必修科目です。

 その第1回目が4月20日(日)に行われました。テーマは「羽田空港の役割とはなにか」です。羽田第1ターミナル内"太陽の塔"に集合し、羽田国際線ターミナル内"HOT ZONE"での解散まで、設定された時間に移動し、様々な課題に取り組みながら、空港の役割りを体得し、理解を深めてもらいました。途中、集合場所を間違えた学生がいて、空港の大きさや時間管理の大切さを学ぶことになった学生もおりましたが、なんとか皆、無事に目的を果たし、元気な笑顔で一日を終えることができました。

 以下、学生のレポートを一部掲載いたします。

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課題に取り組む学生たち

・羽田空港には何回か来たことはあるけれど、今日のフィールドトリップでは、違った見方で回れました。空港で結婚式をあげることが出来たり、神社があること、これはとても驚きました。(N・M女子)

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集合場所を間違え、遅刻したことを反省中 正しい情報はこの方に聞こう!

・いろいろな施設を巡ってみると、空港から想像できなかった結婚式場、神社、クリニックや保育園などがあり、飛行機利用者以外の空港内で働く人たちのための施設があることに驚きました。国際線ターミナルではユニバーサルデザインを取り入れ、外国人のことを考えているのだと知りました。(T・K男子)

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・まず、羽田空港はとても広いのだということに気がついた。さらに広い中にも1フロア毎に特徴があり、目的があることを学んだ。迷わないように工夫を凝らしているところも良いと思った。案内人や案内所、さらには掲示板などの情報量も多く、とても充実しているのだなと感じた。(F・M男子)

・私はフィールドトリップを通じて、羽田空港の基本的な機能から、今まで気付かなかった細かな機能まで、実際に自分で歩き、見聞きしながら調べたことで深く知ることが出来ました。また、分からないことがあった時にグランドスタッフや案内係の人に聞く大切さや、みんなと協力しながら行動することの重要性を学ぶことができました。(T・M女子)

フィールドトリップⅠ、始動!

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現代文化学部 平井純子准教授

 現代文化学部では、エクスカーションを通じ、教室の中では学べないことを体験的に学ぶ「フィールドトリップ」を開講しています。
 4月27日(日)に一年次対象のフィールドトリップⅠの初回のプログラム「飯能を知るためのお散歩ツアー」を行いました。
 飯能駅北口に集合した21名の学生たち。まずは、まちなかの歴史に触れつつ、飯能市指定有形文化財である店蔵絹甚へ。専属ガイドさんから飯能の歴史や産業、文化について、詳しく話を聞かせていただきました。

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 次に向かったのは飯能河原。晴天の下、多くのバーベキュー客が訪れていました。おいしそうな匂いを嗅ぎつつ、橋をわたります。入間川にはたくさんの小魚たちがおり、自然の豊かさを感じました。

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大河原から森のなかへ。きつい!と文句をいいつつも、なんだか癒される不思議な感じ。鳥たちのさえずりをBGMに、飯能の豊かな森のパワーをいただきました。

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 森を通り抜けると、パッと開けた場所にでました。あさひ山展望公園です。2011年に完成した新しい公園で、富士山やスカイツリーも望めるはずでした、が、靄がかかっており、残念ながらすばらしい景観との出会いは次回へお預けとなりました。

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 最後に訪れたのは、ハーブガーデン。癒しの空間で、この日の振り返りを行いました。初めて飯能を歩いた学生も多く、たくさんの刺激をうけたよう。これからもどんどん、飯能を歩いて、知ってください!

 次回のフィールドトリップⅠは5月18日に行われる「秩父まちあるき」です。お楽しみに。

5月24日 オープンキャンパス模擬授業

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「悪女」か「悲劇の王妃」か、それとも? ──マリー・アントワネットをめぐるイメージ形成──

現代文化学部 増田 久美子准教授

 ちょっと想像してみてください。AとBというふたつの肖像画があります。いずれも18世紀のヨーロッパで描かれた女性像です。
 Aの女性は、豪華なブルーのドレスに身を包み、気品のある自信に満ちた微笑みをこちらに投げかけています。右手を地球儀において世界を掌中に収める姿は、まるで彼女が世界を動かしているかのようで、この女性の「自己中心性」がよく表れています。

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 いっぽう、Bの天を仰ぐ女性は両腕を縛られて、どうやら囚われの身のようです。しかし、シンプルな純白の衣装のためでしょうか、その白さが逆に無実や無垢といった神々しさ(?)を際立たせています。「つみびと」というよりは、まるで「殉教者」です。
 このように、これらの女性像はまったく正反対のようすを捉えていますが、じつは同一人物なのです。この女性、フランス王妃マリー・アントワネットは、その贅沢な宮廷生活ぶりから「悪女」として日本人にもおなじみの歴史的人物ですね。また、フランス革命という時代を背景に、悲壮な最期をとげた「悲劇のヒロイン」としても知られています。このふたつの女性像は、いわばふたつの顔をもつアントワネットがイメージ化された、その端的な例といえます。
 
 2006年に『マリー・アントワネット』というハリウッド映画が公開されました。そこには「悪女」でも「悲劇のヒロイン」でもない、綺麗なドレスや可愛らしいお菓子に囲まれて、うきうきする「普通の女子」が王妃として描かれています。この、従来のイメージの覆すアントワネット像はいったい何なのでしょうか。模擬授業では、いまお見せできないAとBの肖像画のほかに、映像や少女コミック等の比較分析を通して、アントワネットをめぐるイメージ形成の問題について探っていきましょう。

グローバルか・・・ その(1)

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現代文化学部 廣野行雄教授

 三月の終わりに中国の青島(チンタオ)に行った。以前、聊城大学から交換派遣留学生として本学に来ていたZhaoWenさんが昨年出産した子どもの顔を見に来てくれというのだ。日本にいたころ何度も遊びに来て我が家の家族ともうちとけ、帰国後も彼女が日本語の教師として働いていた北京へ訪ねていって、いっしょに小旅行をしたりした。いまや実の娘のように可愛がっている家内は、ものぐさな亭主が動くのをまっていたのでは埒(らち)が明かぬとばかり、いそいそとチケットを取りホテルの予約をすませた。冒頭「行った」と書いたが、なんのことはない機内持ち込み荷物同様連れて行かれたのである。

 さて、青島空港に着いて外に出てみると、よく晴れてはいるが空が白っぽくかすんでいる。タクシーの運転手に毎日こうなのかと聞くと、今日は霧が出ているという。青島は十年ほど前一度来たことがあり、海辺にあるためか頻繁に霧が出ることは承知していたし、今にして思えば、たしかに霧が出ていたのだろうと思う。しかし、テレビの画面で見た、いわゆるPM2・5におおわれた北京の様子がよほど強く印象づけられているものとみえて、心のどこかに霧という詩的な気象とは一緒にしたくないという思いがある。ましてや、「春霞たつをみすてて行く雁は」とか「煙霞三月揚州に下る」というのとはなおさら違う気がする。ホテルのある旧市街へたどり着くまでに工場の多い街区を通りぬけなければならない。このときにいたって視界はいよいよ白くなり、数十メートル先も見通せないほどで、五里霧中というのはこのことかと思った。

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霧にかすむ太陽


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霧の青島

 北京のスモッグが偏西風に乗って山東半島、朝鮮半島を経て、我が北九州、山陰にまで飛来するという事実を、聞きしにまさるという程度で体験しているわけである。ドイツ、ついで日本の租借地であったころ丘の起伏に沿って建てられた瀟洒(しょうしゃ)な家々の上に、十年前にはひろがっていた青島の青い空、梅原龍三郎の絵『北京秋天』そのままに故宮の朱壁を、北海公園の白塔をくっきりと浮かび上がらせていた北京の蒼空を返してくれと言いたくなる。

 今から百年以上前の1900(明治33)年官費留学生となった夏目漱石は、東洋人である自分を珍しそうに顧(かえり)みるものなど一人もいないロンドンを「さすが世界の大都会丈有之候(だけこれありそうろう)」と感心しながらも、そのすぐ後に「只(ただ)天気のわるきには閉口(へいこう)、晴天は着後(ちゃくご)かぞへる程しか無之(これなく)、しかも日本晴と云(い)ふ様な透きとほる様な空は到底(とうてい)見る事困難に候(そうろう)。もし霧起るとあれば日中にても暗夜同然ガスをつけ用を足し候。不愉快此上(このうえ)もなく候」と鏡子夫人にこぼしている。夫人あての別の手紙でも「はやく日本に帰りて光風霽月(せいげつ)と青天白日を見たく候」と言っているし、ベルリンにいる知人たちにも同様の愚痴をこぼしているので、高緯度に位置するがゆえの冬の日の短さや漱石という批判精神旺盛な人物の発言である点を割り引くとしても、当時世界最大の産業国家イギリス、その首都ロンドンの空気が如何なるものであったかがうかがい知れる。

 スモッグといえば、60年代、アンディ・ウイリアムズショーというテレビ番組の中でロサンジェルスに電話をかけていると受話器から白い煙(スモッグ)がモクモク出てくるというギャグがあったのを今だに覚えている。ロサンジェルスの場合は、19世紀末のロンドンと同じ産業都市であるうえに、モータリゼーションの爆発的普及という要素が加わっている。高度経済成長期の日本でも四日市や川崎という工業都市では、多くの住民が町の名を冠した喘息(ぜんそく)に苦しみ、同時期のドイツでは酸性雨のためにシュヴァルツヴァルト(黒い森)が深刻な被害を受けるということが起こった。そして21世紀の今日、同様のことが中国で起こっているわけである。

 かなりのタイムラグがあったり同時平行的であったりはするものの百年来世界各地で同じ愚をくり返していることになる。人間は歴史に学ばないものということか。それもそうだが、産業革命以来ひとつの国が経済的豊かさを求めるとき、その豊かさのイメージがあまりにもワンパターンであり、したがってそこへの道も似たような道が選ばれ、結局同じような不具合が生じるということかもしれぬ。グローバル化という言葉ももとはといえば70年代の環境問題を期にいわれ出したのではなかったか。つまり、グローバル化という現象はそれよりもずっと前、大航海時代から出現していたわけであるが、それが対象化され、自覚的に把握されるきっかけになったのが環境の悪化という事態だったわけであろう。
 そういえば、漱石がロンドンで天候の悪さを歎いていたころ、アメリカではマーク・トウェインが"To the Person Sitting in Darkness(暗闇に居る人へ)"という評論を書いていた。キューバやフィリッピンでスペインからの独立運動が激化すると、経済的利害、地政学的関心をもつアメリカは、強硬かつ好戦的な国内世論を背景にキューバやフィリッピンに軍事介入していった。その結果、米西(アメリカ・スペイン)戦争が起こる。マーク・トウェインは、アメリカの介入の実際は「愛、法と秩序、正義、自由、寛容、平等、キリスト教(の信仰)、高貴なふるまい、弱者保護、慈悲、節度、教育」といった「文明の恩恵」を「暗闇に居る人」のもとへ「彼らの血と涙と土地と自由」とひき換えに持ちこむことだったというのだ。しかも、それら「文明の恩恵」なるものは、「国内消費用」とは別の「たんなる輸出用」のもので、「みせかけ」のものでしかなかったと見抜いていたのだった。それより遙かな後アメリカはイラク相手に干渉戦争をしかけたが、あれはまるで百年の歳月が無かったかのような、あまりに臆面(おくめん)もない二番煎(せん)じだった。

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マーク・トウェイン似顔絵
加藤タカシ(キリヌケ成層圏) http://kirinuke.com/about/  より引用

 マーク・トウェインの指摘は、この間の「グローバル化」の本質をみごとに言い当てていて間然(かんぜん)するところがない。やはりほんものの作家、文学者というのはすごいものだ。日本では、マーク・トウェインといえば『トム・ソーヤの冒険』の作者として知られていて、アニメにもなったところから「健全な」少年モノの作家と勘違いをしている人がいるようだが、濁り酒は甘酒ではないし、オオカミと飼い犬はまったく別ものだ。
 「暗闇に居る人」への「文明の恩恵」の輸出は、干渉戦争というあからさまな形をとらずとも、これまたマーク・トウェインのいうように「privately and confidentially」に行われてきたのではなかったか。

新任教員からのメッセージ

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現代文化学部 飯田悠佳子講師

 皆さん、こんにちは。4月に現代文化学部に着任しました、飯田悠佳子です。
 わたしの専門はスポーツ科学で、なかでも"子ども"をキーワードに、研究やスポーツ現場での活動をしています。

 私たちヒトは、生まれた時から成人と同じ身体の形や働きを持っているわけではなく、長い時間をかけて成人と同じ状態へと近づいていく、すなわち発育・発達していきます。同時に、このような発育・発達の途上にある身体は可塑性に富んでいる(刺激に応じて変化する可能性を持っている)ことが知られています。現代文化学部の皆さんの中には、幼い頃から活発に身体を動かしたり、スポーツに馴れ親しんだりしてきた人も多いことと思います。皆さんのように、発育発達期に運動・スポーツを通じて、全力で走る・投げるなどの動作を繰り返したり、どちらにパスをするかなどの素早い判断をしたり、時には心からの喜びや悔しさを感じたり、などの経験をすること(刺激を受けること)は、私たちの身体の形や働きにどのような影響を及ぼすのでしょうか。

 皆さんとともに、このような"ヒトの発育発達と運動・スポーツとの関わり"について学びながら、多様な発達に応じた運動指導の実践や、子どもの安全なスポーツ環境の整備などにつなげていくことを目指しています。体育教師やスポーツに関わる仕事を目指す人はもちろん、将来、大人として次世代の子どもの育ちに関わってゆくすべての人に興味を持ってもらえると嬉しいです。

 4月を過ごしての駿河台大生の印象は、"とても素直で、可塑性に富んでいるなぁ"です。大学生活、ぜひたくさんの刺激を受けてください。

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ゼミ生に囲まれて~身体計測の実習中~

カリフォルニア州立大学イースト・ベイ校留学生体験記

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 本学の派遣留学生として2013年4月から2014年3月までカリフォルニア州立大学イースト・ベイ校に留学した、現代文化学部生のレポートを掲載いたします。
 駿河台大学では、充実した留学制度を学生に提供しています。留学制度を活用した学生はみな、知的好奇心のアンテナをのばし、世界を学んでいます。駿河台大学の様々な留学制度を大いに活用して、世界に羽ばたく第一歩を踏み出してください。

進化

現代文化学部 現代文化学科 井筒亘

 私はいくつかの目標を持って留学し、英語のスピーキングやリーディングはもちろんの事、英語上達は大前提の目標で、そのほかに自らの精神的に追い込むことも目標の一つにしていた。

 元々私は最後まで決めたことを一貫してやり遂げることが苦手だった。1人暮らしで次第に大学生活の慣れが生じ、いつの日かマンネリ化した日々を送り一週間のルーテインを53回繰り返すだけの毎日になっていた。ある日、英語Ⅱの授業で国際交流課のパンフレットをいただき、留学に行くことを前提に1年生をやり遂げることを想定した。なぜなら留学をすることで必然的に、日本で今まで常識だと思っていた文化や習慣がガラッと変えることで、考えて行動しなければいけなくなるからだ。これが私の「留学希望理由」だ。自ら荒波に飛び込むことで精神的に追い詰め、精神向上ができたならこれほど良いことはないと考えたからだ。これから留学を考えている方は「どうせ交換留学だからそうはいってもそんなにキツいわけないじゃない?」と思われている方もいらっしゃると思う。事実やっていることは至極単純だ。だが必ず二つの点で挫折する。理解して行動、発言しているか、学校外でのコミュニケーションを取れているか。この二点は私が留学先であるカリフォルニア州立大学イースト・ベイ校で得たもっとも大きな教訓である。

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中国人・韓国人・イラン人との夕食会(左)、学校生活でとてもお世話になったご夫妻(右)


 英語圏の国では主体性を求める問題やエッセイが多くある。もちろん授業もその中の1つで多く個人の発想や発言を取り入れる。例えば授業では全員のアイディアを共有させるためグループワークと言われる小さな集団を作ってその中でディスカッションをした。全員の考えをまとめ、代表者を自主的もしくは民主的に選出して、最終的にクラスの学生全員の前でグル―プ内での意見総括を発表する。するとグループでの発言や行動が顕著に他のグループと比較され、自らのアイディアの平凡さに気付かされる。私の場合それをどうしても嫌悪してしまうことがある。
平凡であること自体は悪くはない。ではなぜその平凡なアイディアが出てきたのか。理由はいくつかあるが大半を占める原因は失敗したくないという恐怖心だと私は思う。もし非凡な考えで周囲から浮いてしまったら、そんな反射のように確証のない不安から逃げるのは1つ挑戦の場を失っているのと同じことで、すごくもったいないのではないだろうか。ましてや限りのある留学期間にまで発言の機会を逃しているような状況は好ましくない。

 深く理解をして発言することで授業は大きく変わるようになったと私は感じた。他の国からやってきた生徒も同じようにエキセントリックな意見を交換し合い、やっと対等な立場に立ったような、英語が通じたような気がしたのだ。

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サウジアラビア人サウドとのグループワーク(左)、日本人・韓国人・中国人そろっての昼食(右)


 カリフォルニア州立大学は気候条件も治安もアメリカ内で比較的よく、日本人にとって過ごしやすい環境であることに違いはない。しかし、カリフォルニア州立大学に留学を考えているのならいくつかの注意が必要だ。本場のアメリカ英語を習得したいと考えているのであればこの大学は留学するに値しない。留学を始めてしばらくの間はどんなに英語ができたとしても、英語学の集中授業をすることになるわけだが、その授業の先生のほとんどはアメリカ人ではない。おおよそ中国人、韓国人、サウジアラビア人などのアジア人講師だ。よって本場アメリカ人のような英語ではない。事実私の耳が悪かっただけかもしれないが、アメリカ人大学生の英語すべてを聞き取れるようにはなれない。慣れるまでには多くの時間と、アメリカ人の友人を作るのが上達への近道だ。

 このように自らを追い詰めることで、少しではあるが英語を習得し、また精神的に成長をできたのではないかと私はこの1年間を振り返る。カリフォルニア州立大学について、きついことばかりを書いたようだが、楽しいことをたくさんするという選択肢ももちろんある。アメリカ国内に旅行しに行くのも1つの案だと思う。しかし常に変化を求めて留学先で行動を起こさなければ、それは日本にいるのと同じで3週間もすれば繰り返しの日々になるだろう。

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ミッションピーク登山(左)、中国人(ユンホア)とサンフランシスコ観光(右)

フィールドトリップⅡ②  実施報告2 池袋で美術館と建築

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現代文化学部 小林将輝准教授

 現代文化学部のエクスカーション(巡検)授業である「フィールドトリップⅡ」の授業が、第1回 に引き続き、5月17日(土)に第2回が実施されました。

 この授業では副題を「国際感覚を養う」とし、日本にいながらにして、海外との交流や文化を実感できる場所やイベントを訪問することを目的としています。今回のテーマは「池袋で美術館と建築」と題して、古代オリエントの文化を取り扱った「古代オリエント博物館」そして、フランク・ロイド・ライトが設計した「自由学園明日館」、そして最後に「池袋チャイナタウン」を訪問しました。

 古代オリエント博物館はサンシャインシティの中にあり、日本でも珍しい古代オリエントの美術作品や出土物を扱った博物館です。今回はあのハンムラビ法典のレプリカも置かれていました。

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 オリエント博物館を出るとちょうどそこには「乙女ロード」が広がっているので、そこも見学してみました。秋葉原に男性のアニメ・コミックファンが集まるように、「乙女ロード」は女性のそういったファンたちが集まる「聖地」です。男子学生はもっぱらガチャガチャに興味を示していましたが・・・。

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 池袋駅のメトロポリタン口を出てしばらくすると、住宅街の中に「自由学園明日館」が出現します。設計したフランク・ロイド・ライトは帝国ホテルを建設したことで知られていますが、来日した際に、この建物の設計も手掛けました。地面を這うようなエレガントな建物です。今は土日になるとたいてい結婚式が行われていて、人気があるようです。

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 最後に訪れたのは池袋駅北口を出てすぐ目の前にある、通称「池袋チャイナタウン」です。2003年頃に研究者によってそう名づけられたこの界隈には、1980年代ごろから新華僑たちが多く住むようになり、チャイナタウンが形成されていきました。

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 幸いにも天気も晴れて、良い巡検日和になりました。今回訪問したようなところは観光ではなかなか行かないところですが、池袋の違った側面が見ることができたと思います。

卒業生の声を更新中です

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 社会で活躍しているOB、OGからのメッセージです。

 学生生活をどのように過ごしたか、就職活動について、今の仕事についてなど、学部生や高校生にメッセージが続々と届いています。

 ぜひ、ご覧ください。


歴史探訪 実施報告1 「横浜からみる日本の近代化」

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現代文化学部 長尾建准教授

 比較文化コースの歴史探訪の授業では、事前に訪れる施設について各自が調査し、当日それを目で見てまた解説を読むことによって、さらに知見を深めることを目指しています。事前授業でのテーマは、横浜における関東大震災と復興、横浜港の歴史と客船氷川丸の歴史、文学館で行われていた企画展・太宰治についての三点でした。学生はそれぞれテーマを分担し、事前調査を踏まえて当日に臨みました。

 当日5月10日(土)は眩しいほどの太陽が照りつけ、絶好の散策日和でした。みなとみらい線日本大通り駅に集合し、早速散策を始めました。学生たちはあまり横浜に来たことがないらしく、物珍しそうに街の風景を眺めながら散策していました。当初学生には興味がないと思われた震災にも生き残った三つの塔、キング、クイーン、ジャックの塔を興味深そうに眺めていたのは、とても印象的でした。そのまま横浜開港資料館へ。期待していた関東大震災の資料はほとんど展示されていませんでしたが、学生が熱心に展示物を眺めていたのはとても喜ばしいことでした。

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 資料館をあとにした我々は、そのまま山下公園へと散策を続けました。山下公園が震災時に出た瓦礫で出来ていることを伝えると、彼らはなお一層感慨深げでした。そして氷川丸へ。昭和前期の豪華客船の西洋的な内装を堪能し、特に三階分をぶち抜いた大きくかつ整然と並んだタービンの列に、彼らは驚きを隠せないようでした。

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 さらに我々は長い階段を上りきり、港の見える丘公園にたどり着きました。天気が良かったせいか、横浜港にかかるベイブリッジがとても美しく見えました。その次は最後の施設、神奈川近代文学館へと向かいました。折良く太宰治の企画展が開催されており、それを鑑賞することが出来ました。学生たちは事前に調べた内容を元に、展示物はもとより解説文や自筆ノートなどにもじっくり目を向けていました。事前調査をすることにより、学生たちがこれほど熱心に展示物を鑑賞できることを改めて痛感しました。

 その後外人墓地を横に眺めながら、解散場所であるみなとみらい線の元町中華街駅まで歩きました。汗が出るほどの陽気で、愉しい散策になりました。最後に付け足しになりますが、折角山下公園地区までやってきたのだから、中華街へと足を伸ばしました。かなり遅い昼食となりましたが、本場の飲茶と料理を堪能して、皆家路へとつきました。学生はその後中華街も散策したようですが...

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学部で取り組むキャリア教育 その6 「マナー講座」を実施しました

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現代文化学部 小林奈穂美

 現代文化学部では、4年間のキャリア教育でまず、「マナー」が基本であり継続してこそ身に付くものと位置付けています。今年も5月8日(木)ならびに5月15日(木)に分けて、1年次生を対象としたクラス合同「マナー講座」が行われました。

 講師は地元企業であり、キャリア教育全般のご専門でもある篤志館株式会社の雨間けい子先生に今年もお願いしました。篤志館は毎年、インターンシップの受け入れ先企業としてお世話になっており、本学のキャリア育成教育にご理解とご支援をいただいております。

 まず、3人ずつのグループを作り、「マナーはなぜ必要なのか」というテーマについて話し合い、まとめるというワークから始まりました。3人グループがなかなか作れず、オロオロする人たちもいて、人数が足りないところはFA教員が参加します。

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 次に配布プリントにある6つのマナー項目についてセルフチェックです。自分に厳しい人、甘い人、評価はそれぞれです。
続いてあいさつで心がけることを学び、実際にやってみます。3人グループで「好意」と「誠意」が伝わるようにあいさつができているかどうか、他のふたりがチェックします。マルのサインをもらうまで何度も繰り返します。さらにお辞儀の種類と使う場面について学び、これも全員でやってみます。

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 次に敬語の練習です。敬語は使い慣れるしかないとのことで、先生が発声する「友達との会話表現」を皆で「先生や職員の方との会話表現」にひとつひとつ換えて発声していきます。
さらに身だしなみのマナー、時間のマナー、報連相のマナー、公共のマナーについて学んだあと、大学のよいところを3人で話し合いました。
最後はまた、3人で向き合い意見交換です。「今日気が付いたこと」「今日から実行にうつすこと」をまとめたあと、各自レポートに書きます。
学生のレポートには、「自分の行動をもう一度見直して、目上の人にきちんとした態度をとっていきたい」「相手の目を見て、しっかりとした声であいさつができるようにします」「大学の好きなところを見つけて自慢できるようにしたい」など、それぞれに気づきがあったようです。

 マナーは継続することで身に付くものです。学生同様、教員自らも意識して行動し、よい手本とならなければなりません。1年次ゼミオリジナルテキスト「スタスキ資料集」にも「基本マナー」の6項目を入れ、日々の指導に活用しています。

6月15日(日)のオープンキャンパス『模擬授業』予告編!

「都市探訪」実施報告

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現代文化学部 油井 恵教授

 「都市探訪」は、2013年度から始まった新カリキュラムで「フィールド・スタディ」と名付けられた科目群の中にある、学外での学びを重視する科目の一つです。さまざまな「都市文化」の有り様を事前にテーマを持って学習した後、実際に都市に繰り出し、大学生として体験し、体感する、というユニークな授業です。

 初めて学外に出たこの日の行き先は、東京の「エッジ」とも言える六本木です。さまざまな国や地域からの人が行き交う六本木は、アートに親しめる街でもあります。サントリー美術館、国立新美術館、森美術館、更には写真歴史博物館、森アーツセンターギャラリーと、実に様々な美術館や博物館が集まっている街なのです。

 今回はその中で、国立新美術館の企画展「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」を鑑賞しました。東京ではなかなか観る機会のない、世界各地から収集された国立民族学博物館(大阪)の膨大な作品群から選ばれた作品の数々です。色彩や造形の豊かさ、作品の見上げる高さに託す人々の想いとはどのようなものか、はるか遠い場所に生きる人間の営みをここ六本木で感じようとする試みはたいへん興味深いものです。

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 美術館を出てからは五月晴れの気持ちのいい風に吹かれながら、東京ミッドタウン、テレビ朝日等六本木の街を歩き、六本木ヒルズのパブリックアートの数々を見つけつつ、「ママン」(ルイーズ・ブルジョアによる巨大蜘蛛のオブジェ)の下で解散しました。

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 普段大学周辺からあまり遠くに出ず、多少の億劫さを感じながら参加した学生たちも、実際に街を歩いてみるとそのエネルギーに気持ちが開けていくのを感じたようです。学生たち曰く、「美術館を鑑賞するのも悪くない。」体験することで、見方や感じ方も変わり得る、ということをまさに身をもって感じた一日でした。

フィールドトリップⅠ 実施報告2 秩父まちあるき

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現代文化学部 福永昭教授

 現代文化学部のエクスカーション(巡検)授業である「フィールドトリップⅠ」の第2回授業が、5月18日(日)に「秩父まちあるき」と題して、実施されました。
 この授業では副題を「教室の外で学ぼう!」とし、大学のある飯能およびその周辺地域を訪れ、その歴史や人びとの暮らしを見て、その土地を全体的、総合的に体験し、理解しようとするものです。今回は、埼玉県民の心のふるさと、秩父のまちを散策し、そのすばらしさを満喫しました。
 秩父市は埼玉県の北西にあり、歴史のある古い街です。国立公園や県立自然公園が多く、みどり豊かな、静かな街です。

 5月18日(日)飯能駅改札前に集合し、特急ちちぶにて、西武秩父に向かいます。西武秩父までは40分ほど、車内でははやくも大騒ぎが始まりました。10時に、西武秩父駅に到着。そこで、3人の参加者が合流しました。秩父周辺に住む人たちです。今回のツアーは参加17名となりました。
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 早速、西武秩父駅を出発し、秩父公園を左に見て、秩父市歴史文化伝承館、秩父市役所を過ぎ、八間道路を左折、上野町交差点まで、20分ほど、秩父の歴史と暮らしについて話しながら、進みます。上野町交差点を左折し国道299号に入ります。途中、秩父鉄道の踏切を越え、妙見横町へ入り、秩父神社に到着です。秩父神社は、関東でも最も古い神社のひとつであり、かつては秩父妙見宮として秩父の守り神でありましたが、明治政府による神仏分離令により、秩父神社となりました。徳川家康の寄進による社殿は埼玉県の有形文化財に指定されています。
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 さらに、秩父まつり会館前では、秩父夜祭りの魅力について説明。日本三大曳山祭りとして、秩父夜祭りは、京都祗園祭、飛騨高山祭と並んで有名です。そのまま、秩父鉄道秩父駅の秩父地場産センターを訪問します。地場産センターは、秩父観光案内所を併設するとともに、秩父の名産品や図書類を見ることができます。
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 その後、秩父往還に入り、秩父の古い町並みを、1時間ほど歩きました。秩父ふるさと館の中は、レストラン、カフェ、アクセサリーなど、小さな店舗がいっぱいです。かめや横町も必見です。続いて、秩父今宮神社を訪問。社務所の方に、神社を案内していただきました。武甲山の伏流水が今もあふれ出る「龍神池」、樹齢千年の「龍神木」に守られ、「八大龍王」が祀られています。
 たまたま、同神社にては護摩焚きが行われ、20人ほどの参拝者が護摩業に参加しており、私たちも最後部にて、護摩焚きを見せていただきました。

 さらに、10分ほど歩いたところに、今宮観音がありますが、その社務所の方のご厚意により、私たちは今宮観音の奥までご案内いただきました。最後に、秩父札所13番慈眼寺を訪れました。ここは、行基菩薩による開闢といわれています。慈眼寺を後にして、秩父鉄道お花畑駅を左手に見ながら、西武秩父仲店通りを歩き、西武秩父駅改札にて午後2時、解散となりました。
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 秩父は古い街並が現在も残り、往時の息遣いを今日も感じることができます。小池煙草店、坂上建材、井上活版、銭湯、秩父ふるさと館など、昔ながらの建物や生活が、今も残っています。 今回、秩父今宮神社と今宮観音にては、社務所の皆さまに、たいへんなご配慮をいただき、感謝申し上げます。この秩父まちあるきに際しては、地元の皆さまといろいろなお話ができたことが、今回のフィールドトリップの最大の成果ではないかと思います。
 秩父は、ぜひまた行きたいと思わせる街です。


グローバルか・・・ その(2)

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現代文化学部 廣野行雄教授

 企業がかつてのような正社員中心、終身雇用を前提とした日本型雇用慣行を変えはじめたのはいつ頃からだったろう。全国の大学生が就職活動で苦労しており、数十社受けるのがあたりまえのようになっている。ゼミ生には、そういう状況なのだから過度に気にする必要はないとはいうが、何回も「お断り」をくらえば、傷つくなという方が無理ではなかろうか。それ以上に、そう扱われ続け、自尊心をすり減らされた人間が、他人にどう接するようになるだろうかと想像すると薄ら寒い思いがする。ブラック企業、リストラという名の首切り、アルバイト、パート、派遣社員の増加、成果主義の導入、正社員の過労死。非正規社員は当然収入が不安定であるうえに、いつ雇用をうち切られるかわからない。いきおい結婚したくても安定した収入がないので結婚できない男性が増える。ある社会学者の推計によると現在のままの未婚率が続けば25年後には孤立死する人が20万人に上るであろうという。

 金沢の片町、富山の西町、新潟の古町、宇都宮のオリオン通り、地方都市の旧繁華街のシャッター街化。青森もそうなっているそうな。郊外大型量販店へ車で行ってのまとめ買い。かつて映画やテレビで見たアメリカの生活様式がいつの間にか輸入されているわけだ。聞くところによると佐賀県ではついに世帯数より車の数が多くなったとか。夕方駅前からバスに乗ると、リュックを背負い、両手に野菜が入ったビニール袋を提げた老人たちが乗り込んでくる。近くにあった八百屋、魚屋、肉屋がなくなったので駅前にあるスーパーへ買い出しに来なければならないのだ。いや、駅前にスーパーができたから八百屋、魚屋、肉屋がなくなったのか。

 一方では、製造業、特に輸出産業は価格競争力を維持強化しようというので生産設備を人件費の安い海外にどんどん移転している。当然その分国内の雇用は減り、税収も減っているわけだが、大企業のいわゆる内部留保の方は2000年が170兆であったのが一昨年270兆と十年ちょっとで100兆円も増えている。270兆といわれても、漠然とすごい金高だなあと感じるだけだが、今年度の国家予算が確か95兆だったから、国家予算の2倍から3倍の額である。単純に一般家庭に喩(たと)えることはできないのかも知れないが、要するにたくさん儲かった分を貯金にまわしているということだろう。ところが、これと対照的に、働く人間の給料(民間平均賃金)の方は、2000年の460万から十年ばかりの間に408万まで減っているのである。経済学専門の同僚いわく、人は安定した収入があってはじめて消費行動をとるのであり、それはハイエクのような新自由主義を代表する経済学者だってそう言っている、と。

 いったいどうなっているのだろう。

経済については自信をもって門外漢であるといえる。しかし、それでもなんとなく、それらの事象がそれぞれ無関係に生じているのではなく、何らかの形で連関していて、その連関のくさりになっているのが「グローバル化」ということのような気がする。

 そうしてみると、長期にわたる円高、デフレで2012年度はついに輸入額が輸出額を9兆円上まわったと聞いて、すわ貿易立国日本の一大事とばかり、国際競争を勝ちぬくために英会話に堪能な人材を養成しなければ、人件費抑制のために雇用形態の多様化もやむなしと色めきだつのは、トンチンカンもいいところではないのか。

 だが、たしかに、そういう思いこみも笑えない。かく言う自分自身、日本のGDPに占める輸出入差益の割合がせいぜい1割台で2割を超えたことはないという統計資料を初めて見たときは、我が目を疑った。最近読んだ新聞の経済解説欄によると、「日本は貿易黒字で成長したイメージが強いが、戦後、GDPのうち個人消費が5割を下回ったことはなく、経済成長のエンジン役だった」というではないか。小学校以来ほぼ半世紀にわたって後生大事に抱え込んでいた貿易立国日本という思いこみは完全にとどめを刺されたわけである。記事は、それに続けて「この20年間で民間投資が減少し、個人消費型の傾向が強くなった。米国経済はさらに消費主導型で、個人消費がGDPの7割に達する。一方、中国の個人消費は3~4割にとどまり、民間の住宅・設備投資や公共事業が5割近くを占めるインフラ投資主導型。国民所得の上昇により個人消費を拡大することが課題となっている」という。

 高度経済成長期の日本では、東西冷戦期という国際情勢やら、終身雇用制という伝統的日本型経営やら、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という商人道やらがない交ぜになって、当時は自嘲(じちょう)の語気をふくんで語られ、今となっては多少の懐かしさを覚えなくもない「一億総中流社会」が出現した。改革開放政策をとった鄧小平の「先に豊かになるところが豊かになり、その影響で他が豊かになる」という先富論も、そこをねらったのだろうが、高度経済成長期の日本とは、歴史的な文脈も国際的な環境も国民の行動様式も異なっている以上、いわゆる富のトリクルダウンが思惑(おもわく)どおりいかないのも必然的だったのではないか。となれば、中国の若者たちの、日本車、日本料理店、日系デパートをめがけての打ち壊し事件は、実は国内の富の不均衡、思うにまかせぬ職さがし、あまりの格差の大きさに対する不満のはけ口を政府が半ば黙認している反日デモに見いだしているのだ、といううがった分析もにわかに信憑性をおびてくる。すると、これもまた「グローバル化」がもたらした一結果であったのか。

 電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしが悪いのよ。

 子どものころ流行っていて、その後何十年も口にしなかった文句が不意に頭に浮かんでくる。

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青島ビール工場


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青島の旧市街地

グローバルか・・・ その(3)

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現代文化学部 廣野行雄教授

 秦の始皇帝の死後、二世皇帝を自分の意のままに操ろうとした宦官(かんがん)趙高は、鹿を見せて「馬でございます」といった。二世皇帝が「そなたの間違いだ。これは鹿だよ」と否定すると、まわりの臣下に「これは馬か鹿か」と尋ねた。多くの者は皇帝の寵臣(ちょうしん)趙高の威を恐れて黙っている。なかには馬でございますと阿(おもね)るやからさえいたが、さすがに鹿だと答える気骨のある者もいた。だが、そういう者は無実の罪を着せられて処罰された。語源説としては信じるに足りないが、愚かな様をいうのに、この二種類の動物の名をならべるのもむべなるかなである。

 地球全体がひとつになるのだから、それぞれの国が得意分野の産業によって棲み分ける国際分業制が確立して、人々が国境を越えて行き来するようになり、それぞれの文化を尊重しあう、といったバラ色の夢を「グローバル化」のうえに思い描くとすれば、それこそ鹿を馬と言いなすようなものではあるまいか。

 英語に限らず外国語に堪能な人を見ると感心せずにはいられない。本人がそれを苦労と思ったかどうかは別として、そうなるまでに払われた努力に対して頭が下がる。
 自分だって語学教員のはしくれだ。できるだけ多くの学生諸君が語学に興味をもって積極的に取り組んでくれたら、その言語が話されている場所へ行って、そこの人々と交流し、直接異文化にふれる機会をもってくれたら、どんなにうれしいだろう。
 外国人の、あるいは外国籍ではないが日本語を母語としない友人たち、あの人たちは、自分にとって一般の日本人に対する以上の親しさと共感を抱かせる存在ではないか。

 現代文化学部、とりわけ比較文化コースは、言葉の勉強をとおして文化の多様性のおもしろさに気づき、その目で自文化を見つめなおす場所ではなかったか。だから、どの文化がどの文化よりすぐれているとか、どの文化が、他が見習うべき模範的な文化(グローバル・スタンダード)だという考えをとらないのではないか。ことばは、人間が操る道具であるという聞いたところはもっともらしいが実は顛倒(てんとう)した、粗忽(そこつ)な考えをとらないのではないか。ソシュールだのハイデガーだのをもちだすまでもなく、ことばこそが人間というものを、世界(存在)を立ち上げる存在にしているのだから。

 むかし読んだレマルクの小説『西部戦線異状なし』。映画も見た。祖国のために勇ましく戦えと教師にあおられて軍隊に志願した少年は、やがて戦争の現実を身をもって知ることになる。そして彼は、自分のようにして兵士になったものにとっての下士官や教師を、そうだ教師をだ、銃をとって対峙している敵以上に凶悪な敵だと考えるようになるのだった。
 それは百年も前の、またしても百年だ、第一次世界大戦(1914~1918)当時のドイツのことで、しかも小説の中のエピソードではないか。

 しかし、もし自分が、「グローバル化」について、軽信を戒め、目を凝らして見、耳を澄ませて聞き、それにどう対処するのかを考えさせるのではなく、明るく、積極的なイメージで飾り立て、外国語をその「グローバル化」に役立つ道具だとして教えたとすれば・・・

 いつしか車外の視界がしだいに回復し、かつて見た、懐かしい青島の旧市街の町並みが窓の外を流れていく。

 それとともにわたくしも五里霧中を迷走する、暗いもの思いから我に返った。

 ・・・さあ、これから会いに行くのだ。海を渡ってやって来て、あんなにも熱心に日本語を学び、それをまた母国の人々に教えている、一人の中国の女性が産んだ新しい生命(いのち)に。

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坂の町青島

歴史探訪 実施報告2「日本の建物の移り変わり」

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現代文化学部 岡田安芸子准教授

 「歴史探訪」は、2013年度に始まったカリキュラムから、新しく登場した科目です。東京や横浜など、さまざまな街の歴史を事前に調べた上で、実際に現地を訪れる、ということを行います。

 第2回目にあたる6月14日(土)には、小平市にあるガスミュージアムと、小金井市にある江戸東京たてもの園を訪れました。ガスミュージアムでは、ガス灯の誕生と普及事業や、ガスとくらしのかかわりについて紹介しており、日本の文明開化や、私たちの暮らしの変化について学ぶことができます。ガス灯の点灯実験の見学では、夜の濃い闇の中に、ガス灯がどれほどの明るさをもたらしたのか、きっと実感できたことと思います。

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 江戸東京たてもの園には、都内に存在した江戸時代前期から戦後までの、さまざまな建造物が展示されています。今回はその中から、とくに家屋の変遷に注目し、見学しました。土間やかまどのあるかやぶき屋根の民家、和洋折衷の住宅、田園調布に建てられた洋間のみの住宅。これらを順番に見ていくことによって、日本の家屋が近代以降、西洋文化の影響を受けて変化していく様子を体感することができます。学生たちは、かやぶき屋根の建物の、内部の思いがけない天井の高さに、驚きの声をあげていました。

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 直接見ることによって新しい発見が生まれるよろこび。そうした体験を積み重ねながら、日本の近代文化の展開や歴史について、考察を深めていきます。

7月13日(日)のオープンキャンパス『模擬授業』予告編!

2014年度現代文化学部学部長賞の表彰をおこないました

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現代文化学部長 吉野貴順

 学部長賞は、在学生の中で昨年度の学業成績や部活動・ボランティア活動・地域での活動が顕著な学生に、表彰状と副賞を贈呈し、その功績を顕彰する制度です。現代文化学部については、本年度、下記の表のとおり、めでたく12名の学生が学部長賞を受賞し、その表彰式が6月25日(水)に行なわれました。

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 受賞者の皆さんの晴れやかな笑顔が印象的でした。受賞者の皆さんには、今後とも、勉学にあるいは課外活動に一生懸命励んでいただき、大きな成果をあげて欲しいなと願っております。おめでとう!

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