現代文化学部 天野宏司准教授
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研修四日目は、1日かけて天野が案内する「香港の歴史と現状を知るガイドツアー」を実施しました。このツアーの目的は二つ。一つは香港に残るイギリスの残照をたどることで香港の歴史を理解させることと、今日の香港が抱える色々な社会情勢を体験的に知ってもらうことでした。
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写真左側は、薄李活道公園という場所です。現在では中国庭園風の公園になっていますが、こここそがイギリス軍が最初に進駐し軍営を構えた場所ですが、現在ではすぐ脇を通るPossesion Street=水坑口街の名称にしかその名残はありません。
1997年の香港返還とともにイギリス人の総督は香港の地を去りましたが、一国二制度のもと50年間継続する経済体制によって企業活動は継続しています。その象徴的存在が、午砲=Noon-day Gunです。香港経済を牛耳っていたジャーディン・マセソン商会が、来港者に対し私的に儀礼砲を撃っていたこと戒めるため、イギリス海軍によって1860年代から時報を撃つことを命じられたことに由来し、これが現在まで続いています。
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狭い土地に多勢の人が暮らす香港では、必然的に不動産相場が高騰しています。このため高い家賃負担を夫婦共稼ぎでまかなうことが多くなり、家事労働をより安価な家政婦=阿媽へと依存することがままあります。もうひとつ、家政婦の需要が高いことには香港の歴史に由来する構造的な事情があります。長らく香港は、資本主義社会が、中国(社会主義国)に対し、豊かさを示威するショー・ウィンドウとして機能してきました。このため、中国から竹のカーテンを抜けて香港中心部にたどり着いた密入国者に対しても永住権を与える政策が1980年代までとられていました。そのため、中国で社会不安の高まりがあるたびに香港の人口が増えていきます。鮫が泳ぐ海や、深い薮を乗り越える脱出行は、頑強な男子を優先的に選別していくため、香港社会は男子の比重が高い人口構成となりました。
女性の数が少ない社会で伴侶を求める困難さは想像に難くありません。お財布は別・家事をしなくても良いなどと、好条件を提示しなくては結婚してもらえないわけです。こうして、家政婦を雇用することが中流階級にも珍しくないことになってきました。
阿媽たちは、月約5万円の最低賃金・衣食住の保証・週1回の休日保証と、かなり劣悪な雇用条件で働いています。彼女たちの楽しみの一つが、毎週日曜日に三々五々集まって知り合いと過ごす休日です。日本であれば喫茶店やファストフードで1日話しに花を咲かせるところですが、無駄な出費を省くために野外の日蔭という日蔭に陣取って雇い主への愚痴でもこぼしあっているのでしょう。その数たるや!圧倒されること必然です。今回の研修日程は、この様子を見せるために最初から日曜日を挟むことを絶対条件としていました。
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従来、家政婦=阿媽の供給元はフィリピンでした。旧アメリカ領であったフィリピンは英語が公用語の一つになっています。このため、フィリピン人阿媽の存在は、家庭における幼児教育段階から英語に接する機会を増やし、英会話能力の獲得に寄与してきました。近年では、インドネシア人阿媽が増えてきて、ついには数の上では逆転しています。イスラム教国家であるインドネシアから来た阿媽達はブルカを被っているため、明らかにフィリピン人阿媽とは風体がことなりますが、フィリピン人阿媽が交通の便がよい中環に集まってくるのに対し、後発のインドネシア人阿媽はビクトリア公園に集まるというようにすみ分けが行われています。
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原則的に外国人労働力を受け入れてこなかった日本では、およそ考えられない光景を学生達は目の辺りにして驚くとともに、家族、特に子供を国元に置いて出稼ぎに出る彼女たちの悲哀と、それを上回る経済格差について感じ入っていたようです。郵便局内にも仕送りをするのでしょうか?阿媽達がすし詰め状態でした。
一方、彼女たちに敷物として拾ってきた段ボールを売って日銭を稼ぐ香港人も登場し、豊かな香港の中にも階層差が存在していることを実感します。香港の社会はイギリス統治時代から「レッセ・フェール=自由放任主義」が貫徹し、行政は「小さな政府」に徹してきました。イギリス流の「揺りかごから墓場まで」という高福祉政策は、辺境の植民地まで及ばなかったわけです。街を歩けば、年老いた、あるいは肢体の一部が欠損した物乞いを頻繁に見かけます。かと思えば、何処で拾ってきたのか?靴の片方だけ、鍋の蓋、電話の受話器などおよそ商品価値のなさそうな品を路上に並べひさぐ者もいて、上述の段ボール売りなどはまだまだ商機を捉えた聡い生業であることが分かります。少なくとも今の学生は、食うに困るような生活をしてきていないでしょうから、あからさまな階層差を目の辺りにして大きなショックであったろうと思います。そのようなことがない(あるいは少ない)日本社会の良い面は再認識してもらいたいと思うとともに、置かれた環境を改善して生活を少しでも良くしたいというギラギラとした上昇志向や、何にでも商機を見つける知恵は、もう少し見習っても良いのではないかと思います。
最終的にガイドツアーはホウ馬地=Happy Vallyのヒンズー・モスクと外国人墓地を見に行きます。香港には、イギリスによる植民地経営時代に、同じくイギリス領であったインドから多くの労働力が渡ってきます。インドの人口の約80%がヒンズー教徒、約15%がイスラム教徒で構成されているため、彼らのためのモスクがそれぞれ建設され、現在でも礼拝に使われています。支配階級であったイギリス人を含め、香港の地で客死した人を埋葬するための墓地は、住居に使えないような急傾斜地に建設されています。碑文を見ると、ムンバイ生まれのヒンズー教徒の棺型の墓があるかと思えば、中国奥地を探検したイギリス人の墓は、没年がよく分からないため13年間の幅で書かれていたり、水夫の墓なのでしょうか?碇が十字架に添えられていたと、様々な背景を背負った人々が香港に集まり・亡くなっていったことが伺えます。
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墓地の奥に進むと、キリスト教徒の墓に混じって日本でおなじみの形をした墓石がちらほらと確認できるようになり、最奥部に至ると日本人だけが埋葬された区画にたどり着きます。墓石に刻まれた没年や埋葬者の名前を読み取り、没年は明治末から大正期が多く、女性の名前も目立つこと、異国の地・香港で亡くなった日本人は、イギリスの慣習に倣い個人を単位とした墓に埋葬され、日本国内のように家を単位とした墓には埋葬されないばかりか、戒名すら付いていないケースも多くあることを確認しました。
五日目は学生達が一番楽しみにしていた香港ディズニーランドでの研修です。世界で一番コンパクトなディズニーランドですので、学生達は、さっさと飽きて帰るだろうと予想していましたが、この予想は見事に外れました。
慣れからか、緊張感を欠き前日ホテルへの帰着報告を怠ったグループや、疲れからか、朝のミーティングに遅刻したグループは、午前中の外出を禁じましたのでお昼から出かけていきましたが、朝から張り切って出かけたグループを含め、閉園まで楽しんで来たようです。アトラクションの入り口が、奥から、「ENGLISH」・「普通話」・「広東語」と三つに分かれていたことや、園内の表示も三者が使い分けられていたことに気がついたでしょうか?
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最終日も集合場所は帰国便搭乗口という、無茶ぶり。つまり学生は、ホテルから空港までの移動はもとより、カウンターでのチェックイン・座席指定・機内預けの荷物の預託、出国手続きなど、諸々を自力で達成しなくては帰れないわけです、日本語の通じない場所で。往路も同じことをさせました。従って、踏むべき手順は既に承知しています。多少言葉が分からなくても、研修の成果を発揮してくれなくては困ります。時間に遅れるグループもありましたが、搭乗時間前に全員集合となりました。恐らく駿大史上初だと思います、海外で「授業アンケート」を実施し、「遊びで来たのではない」ということを再認識させる小技も使いながら、事後指導について告知をしました。
飛行機に乗せてしまえば、天野の仕事は99%終わったようなものです。日本到着→入国手続き→機内預け荷物のピックアップ→(幸い?にもスーツケースの破損が出ましたのでバッゲージクレーム研修)→通関と済んだところで「帰宅したら天野へ帰着報告をするように」との指示を与え解散しました。なぜか、三日ほど家に帰らない学生がいるかと思えば、帰路の電車内で、やれ「満員電車で足がつる」とか「香港の空港で虫に刺された」とか、どうでも良い情報をつぶやき・垂れ流している元気の余った学生もいましたが、5泊6日の研修旅行は無事終了しました。
研修旅行は終わっても「海外観光研修」の授業はまだ終わりません。これからの事後指導に備え、各自記録の整理をしているはずです。普段手書きで記録をする習慣がない彼らに対し、毎日の研修ノートを作るように指示してあります。どんな内容になっているやら?
社会人生活で「記録」を「報告書」にまとめる作業は、どのような職種についても必要なスキルのはずです。パラパラと毎日チェックをしていましたが、まだまだ、そのあたりの修得が不十分なようなので、事後指導はここに力点を置くことになるでしょうか?
海外観光研修の実現に際し、京王観光 さいたま支店 滝島様には、多大なご尽力と助言を頂きました。ありがとうございます。いくつも提案頂いたホテルに、「ここは立地が悪いからダメ」・「そこは高いからダメ」と、随分わがままを言わせてもらいながらも、今回グレードの高いホテルに安価に泊まることができました。大学からの助成金が交付されるため、学生はほぼ往復交通費だけで研修に参加できましたことを申し添えます。
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