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Channel: 【駿河台大学】現代文化学部からのお知らせ
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あなたは何派?-フィールドスタディ随想-

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現代文化学部 廣野 行雄教授

 現代文化学部には、歴史探訪というオムニバス形式の学外授業があります。10月、11月は、わたくしの担当で皇居東御苑(旧本丸跡)、銀座、浅草、両国に行ってきました。

 わたくしは、かねがね出かけることが好きな人には二種類あるのではないかと考えています。ひとつは、風景派、自然派の人たちで、説明の要もないでしょうが、美しい、あるいは雄大な風景を見ること、その中に身を置くことに喜びを感じ、出かける第一の目的をそこに置く人たちです。もうひとつは、歴史派、考証派とでもいった人たちで、この派の人たちは、たとえその当時と風景が一変していても、自分の立っているところで百年前にある事件が起こったとか、歴史上の人物が歩いていたといったようなことで興奮する人たちです。何を隠そう、わたくしも、まずはまちがいなくこちらの派の人間なのです。

 もちろんどちらかといえばといった程度のことで、それほど截然と分けられるわけではないでしょう。かく言うわたくしも、こどものころ、夕映えに赤く染まった剱岳の美しさや遠く島影のようにけぶる能登半島のかなたに光の帯をひいて沈む富山湾の夕陽に心奪われた覚えがありますし、いまだって冬の朝、雪をいただいた富士山に出会えば、「真白き富士のけだかさを」と知っているはずのない戦前の愛国歌謡の一節を口にして、自分で自分に「あんさん今どきの人やおまへんな」と上方落語風のつっこみを入れ、その日は何かトクをしたように感じさえするのですから。

 歴史探訪に話を戻しますが、10月17日の場合、大手門の前で待ち合わせて、太田道灌おおたどうかんが城を築いたころは、ここから日比谷公園のあたりにかけて入り江つまり海であったこと、それが神田山という小山を掘り崩して埋め立てられたこと、台地になった神田山のあとに家康の死後、駿府から移ってきた家臣たちが屋敷を構えたところが駿河台と呼ばれるようになったことなどを説明したあと、江戸時代に大名たちが登城したコースにしたがって東御苑の中へ入っていきます。ところどころで立ち止まっては、百五十年ほど前まで、今立っているところにはどのような建物、部屋があって、そこでどのようなことが行われていたかを説明します。この時点ですでに歴史派には、漠然としたシルシのような何かが現れています。そのシルシは、松の大廊下跡という標識の前に来たとき、表情やそぶりにはっきりとそれと見わけがつくものになり、もはや歴男歴女という旗指物を差しているのと同然です。

 歴史派に属するための必要条件-十分条件ではありません-は、きわめて明快です。歴史に関する知識です。これがないとどんな歴史的な場所にいても興奮のしようがありません。

 一方、風景派は、じょうぶな足腰と交通費の他には何も必要ないのかといえば、どうもそうではないという気がします。

 古代ヨーロッパの人々は、シンメトリカルでないアルプスの山々を恐れたそうで、近代にならなければアルピニストという人たちは現れません。「悠然ゆうぜんとして南山を見る」にせよ、「窓には含む西嶺千秋の雪」にせよ、「香爐峰こうろほうの雪はすだれかかげて看る」にせよ、陶淵明、杜甫、白楽天が人世あるいは人生に対して抱いていた鬱屈した気持ちを根底においてみなければ十分に味わったとはいえないでしょう。牧谿もつけい瀟湘八景しようしようはつけいを描いた水墨画にしても、景色うんぬんよりも、そこに表された心境、境地を見てくれというもののように思います。江戸時代には、信心のために富士講で富士山に登る人はずいぶんあったでしょう。しかし、富士山が北斎の「富嶽ふがく三十六景」やら広重の「東海道五十三次」やらに「風景」として現れるようになるには、もはや「旅はいものつらいもの」ではなくなっている、それどころか弥次やじさん喜多きたさんの「東海道中膝栗毛ひざくりげ」が、さかのぼること二十年ほど前にベストセラーになっている、という時代背景をぬきにしては考えられないのではないでしょうか。極端に言えば、上高地は明治時代にウェストンによって「発見」され、尾瀬は戦後「夏の思い出」に唱われて、はじめて「風景になった」ともいえます。

 どうやら景色をめでる、という行為も、文化的かつ歴史的所産のようです。それでは、歴史派の歴史的知識にあたるような、風景派であるための必要条件は何かといわれても、わたくしにはにわかには答えられません。ただ、美しい風景というものがあって、それを見たら人は美しいと感じる、というものでないことは、ごく初歩的な哲学入門書にも書いてあります。

 ところで、わたくしも教師のはしくれ、やはり気にかかるのは、風景派、歴史派のどちらにも属していないようにみえる学生諸君です。彼らは、そこがどこであろうと、何が見えようと親しい仲間との交流に余念がありません。しかし、気にかかるといっても、そんな人たちに初めてであったとか、驚いたというのではありません。なぜなら、わたくしはこの派の人たちにしょっちゅう出会っているからです。せっかく劇場や能楽堂に来ているのに、開演の知らせがあっても演者が現れる寸前まで共通の知人誰それさんのうわさ話、昨日家庭内に起こったさして珍しくもない怪事件の報告に花が咲きます。歌舞伎や能を観るということは、つかの間なりとも日常から離れた時間をもとうとすることのはずですから、なぜ一刻も早く旅立つ支度をしないのでしょう。しかもけっして安くはない入場料という旅費を前払いしているのに。今回の歴史探訪の場合も同じです。感動も、興奮もしないとすれば、ただただ遠足か散歩のように歩き回っているだけではありませんか。

 この派の人たちを何と名づけたらよいのでしょう。無感動派?ウルトラ現実派?眼前世界引きこもり派?

 貧乏性のわたくしには、この第三の派にいることが何とももったいないことに思えてしかたありません。たしかに風景派になるのは、上に述べたように何でもないように見えて意外にやっかいなことのようです。しかし、それにひきかえ歴史派になるのなら簡単です。その場所についての、ちょっとした歴史的知識と想像力さえあればいいのです。だから、わたくしたちは、ちゃんと事前授業を用意しているのです。

 その想像力というのが問題だというのですか。

 だいじょうぶ、想像するというのは、無から有を生じさせることではありません。想像力の元手だって知識なのです。人間は、ライオンとワシという現実の存在を知っていてはじめてグリフィンという想像上の怪獣をこしらえあげられるのですから。

 ところで、この駄文だぶんを読んでくださっているあなたは、何派ですか?


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