本学の派遣留学生として2013年4月から2014年3月までカリフォルニア州立大学イースト・ベイ校に留学した、現代文化学部生のレポートを掲載いたします。
駿河台大学では、充実した留学制度を学生に提供しています。留学制度を活用した学生はみな、知的好奇心のアンテナをのばし、世界を学んでいます。駿河台大学の様々な留学制度を大いに活用して、世界に羽ばたく第一歩を踏み出してください。
進化
私はいくつかの目標を持って留学し、英語のスピーキングやリーディングはもちろんの事、英語上達は大前提の目標で、そのほかに自らの精神的に追い込むことも目標の一つにしていた。
元々私は最後まで決めたことを一貫してやり遂げることが苦手だった。1人暮らしで次第に大学生活の慣れが生じ、いつの日かマンネリ化した日々を送り一週間のルーテインを53回繰り返すだけの毎日になっていた。ある日、英語Ⅱの授業で国際交流課のパンフレットをいただき、留学に行くことを前提に1年生をやり遂げることを想定した。なぜなら留学をすることで必然的に、日本で今まで常識だと思っていた文化や習慣がガラッと変えることで、考えて行動しなければいけなくなるからだ。これが私の「留学希望理由」だ。自ら荒波に飛び込むことで精神的に追い詰め、精神向上ができたならこれほど良いことはないと考えたからだ。これから留学を考えている方は「どうせ交換留学だからそうはいってもそんなにキツいわけないじゃない?」と思われている方もいらっしゃると思う。事実やっていることは至極単純だ。だが必ず二つの点で挫折する。理解して行動、発言しているか、学校外でのコミュニケーションを取れているか。この二点は私が留学先であるカリフォルニア州立大学イースト・ベイ校で得たもっとも大きな教訓である。
英語圏の国では主体性を求める問題やエッセイが多くある。もちろん授業もその中の1つで多く個人の発想や発言を取り入れる。例えば授業では全員のアイディアを共有させるためグループワークと言われる小さな集団を作ってその中でディスカッションをした。全員の考えをまとめ、代表者を自主的もしくは民主的に選出して、最終的にクラスの学生全員の前でグル―プ内での意見総括を発表する。するとグループでの発言や行動が顕著に他のグループと比較され、自らのアイディアの平凡さに気付かされる。私の場合それをどうしても嫌悪してしまうことがある。
平凡であること自体は悪くはない。ではなぜその平凡なアイディアが出てきたのか。理由はいくつかあるが大半を占める原因は失敗したくないという恐怖心だと私は思う。もし非凡な考えで周囲から浮いてしまったら、そんな反射のように確証のない不安から逃げるのは1つ挑戦の場を失っているのと同じことで、すごくもったいないのではないだろうか。ましてや限りのある留学期間にまで発言の機会を逃しているような状況は好ましくない。
深く理解をして発言することで授業は大きく変わるようになったと私は感じた。他の国からやってきた生徒も同じようにエキセントリックな意見を交換し合い、やっと対等な立場に立ったような、英語が通じたような気がしたのだ。
カリフォルニア州立大学は気候条件も治安もアメリカ内で比較的よく、日本人にとって過ごしやすい環境であることに違いはない。しかし、カリフォルニア州立大学に留学を考えているのならいくつかの注意が必要だ。本場のアメリカ英語を習得したいと考えているのであればこの大学は留学するに値しない。留学を始めてしばらくの間はどんなに英語ができたとしても、英語学の集中授業をすることになるわけだが、その授業の先生のほとんどはアメリカ人ではない。おおよそ中国人、韓国人、サウジアラビア人などのアジア人講師だ。よって本場アメリカ人のような英語ではない。事実私の耳が悪かっただけかもしれないが、アメリカ人大学生の英語すべてを聞き取れるようにはなれない。慣れるまでには多くの時間と、アメリカ人の友人を作るのが上達への近道だ。
このように自らを追い詰めることで、少しではあるが英語を習得し、また精神的に成長をできたのではないかと私はこの1年間を振り返る。カリフォルニア州立大学について、きついことばかりを書いたようだが、楽しいことをたくさんするという選択肢ももちろんある。アメリカ国内に旅行しに行くのも1つの案だと思う。しかし常に変化を求めて留学先で行動を起こさなければ、それは日本にいるのと同じで3週間もすれば繰り返しの日々になるだろう。